東京都新宿区神楽坂の石畳と物書き旅館「和可菜」



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今回の話題は、東京都新宿区神楽坂の石畳と物書き旅館「和可菜」についてです。

 

12月にふさわしい風景に出会いました。東京都新宿区にある神楽坂の雨に濡れる石畳をご紹介します。

東京都内の紅葉も見ごろを過ぎて落ち葉となり古い石畳に落ちていました。神楽坂兵庫横丁の石畳と落葉が雨に濡れている姿に美しいと感じました。

 

この古い石畳を街ぐるみで守っています。

石畳の古いものの1つの大きさは表面から見える部分は縦横5~6㎝位でしょうか。しかし驚くことに長さが15センチ以上もあるそうです。ちなみに新しい石畳は長さが短い・薄いとのお話でした。

 

地下に埋めてあるガスや水道管などの工事をする時には、石畳を掘り出し、工事をし、又1本1本を元に戻す。いい加減に並べるのではなく、扇を広げたようなデザインが神楽坂の石畳の特徴ですから、同じように戻すことにも大変なご苦労があるのだそうです。

 

神楽坂の石畳の美観を守っている方々は、この落葉の季節がもっとも苦労があるのだとか。石畳と石畳の間に落葉が入ってしまい、ほうきで掃き掃除が難しいのだとのことです。

 

このように古い石畳を守るために日夜ご努力されている方々のお蔭で、散策する私たちは日本の情緒や日本の心を感じることができるのだと神楽坂の石畳を踏みしめながら想います。

 

また神楽坂を別の角度から見るとインターナショナルな側面もあります。近くにフランス人学校があるためにフランスの方が多く住み、フランス人の往来も多く、フランス料理店が多いのも特徴です。このような背景により、古い石畳がフランスの街並みにも似ているということでフランス人の間では、神楽坂は「日本のプチ・パリ」とも呼ばれています。

 

 この日の石畳は「和可菜(わかな)」さんの前で撮影しました。

和可菜さんは「物書き旅館」と呼ばれていました。皆さんもご存じの多くの文豪が缶詰めになって作品を執筆なさったことで有名な旅館です。和可菜さんで物書きをするとヒットするという言い伝えもありました。

 

1Fでは編集者が1日中交代で書き上がるのを待つ。2Fの部屋では文豪が作品を缶詰になって書き上げる。作品を書き上げないと1Fには編集者が待ち構えているので旅館の外には出られません。

 

ある作家は、執筆に行き詰まると夜の神楽坂へ遊びに行きたくなって、写真の2階の窓から屋根を渡り塀を乗り越え石畳へ着地、お忍びで夜の街へ出かけて行き、帰りは深夜にご機嫌よろしく1F玄関から旅館に戻り、編集社の番人を驚かせたという武勇伝も残っています。

 

神楽坂の和可菜さんは、昭和の大女優・小暮 実千代(こぐれ みちよ)さん<1918年1月31日 - 1990年6月13日>が出資し、妹さんが女将として経営されていました。

小暮実千代さんが他界されてから何十年もお二人の名前の入った表札が数年前まではかかっていました。上の写真からも表札の面影を見ることができます。小さな門扉の右上に長方形の表札の跡がご覧になれますでしょうか?

 

私が神楽坂へ出入りし始めた頃、今からン十年前頃の話になりますが、石畳を掃き掃除をしたり、格子戸を出入りする和服姿の女性を数名を見かけたことがあります。

 物書き旅館和可菜さんは廃業されたことを風の便りに聞き残念に思っていますが佇まいは表札のあった時代と変わりません。

 

神楽坂は六花街のひとつです。神楽坂芸者は、現在数十人のみとなりましたが今も健在です。見番もあります。

 

弊社では団体様の目的・ご要望ををお聞きして神楽坂のみどころ、お食事処、散策コース等のご助言を行っています。問合せフォームからお問合せください。

 

日本情緒満載で、古い石畳のある東京都新宿区神楽坂へお出かけになってみてはいかがでしょうか?

 

 

文章・写真|土肥原くに子

 

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